7月19日(火)、1学期最終日の終業式に、アテネパラリンピック金メダリストの高橋勇市さんがいらっしゃいました。
「DREAM AS ONE」と書かれた、真っピンクのTシャツにサングラスという出立ちで、講演にいらした全盲の高橋さん。まるで見えているかのように、生徒達の反応を伺いながら、軽快にお話下さいました。
※「DREAM AS ONE」で、ぜひ検索してみて下さい。
今回は、感染対策で中高1年生と生徒会役員だけが視聴覚室に集まり、中高2年〜6年までは、各教室でリモートで講演を聞きました。生徒達も静かに講演に耳を傾けていました。
堀越校長先生から紹介され、高橋さんの講演が始まりました。
初めに高橋さんがマラソンでアテネパラリンピックに挑戦する姿、また金メダルを取った映像が流れました。金メダルを取った事もすごいのですが、その映像を流すのも、誰かに助けてもらわずに音声が流れるパソコンを使ってご自身でやっているのがすごいなと感心してしまいます。
映像が終わると今度は、「子供達に夢はありますか?」と質問されていました。
警察官になりたい人?
看護師になりたい人?
手をあげるのは、1人2人…
お金持ちになりたい人?
と言われると、20人くらいでしょうか?笑いとともにたくさんの手があがります。
高橋さんの小学校の時の夢は、オリンピックで金メダルを取ること。
最初は、マラソンは大嫌い。ですが、学校で毎日マラソンをやらなければならず、やるのを拒んでいたら先生に目をつけられ走らないといけないはめに。仕方なく走るのを続けていたら次第に走るのが好きになり、気づいたら周りが走るのをやめても自分だけは走っていたそうです。そして走り続けた結果6年生の運動会で1位を取る事ができ、その時の気持ちは、今も忘れないそうです。「継続は、力なり」という作文で新聞掲載もされたそう。
中学校の時の夢は、「音楽評論家」。陸上部に入ったがなかなか結果はでなく、走るのをやめたそうです。
高校に入ると目の異常が見つかり、次第に目が見えづらくなり、人にぶつかってしまったり、階段から落ちたりしたそうです。自分だけでは学校にも通えず、親に送り迎えをしてもらい、親に迷惑をかけてまで生きるのが辛いと死も考えたそうです。カッターナイフで手首を切ろうとした時に親に止められ、私がこんな体に生んでしまってごめんね。生きていたらいい事あるから頑張って生きようと言われ、死ぬ事をやめて盲学校に通う事にしたそうです。
お友達にパラリンピックの存在を教えてもらい、31歳の時にもう一度走ってみようと思い、伴走者を探し、2人の伴走者と高橋さんの3人のチームで、2004年アテネパラリンピックに挑戦!金メダルを獲得されました。
その時の金メダルを出して下さり、堀越校長先生へかけて下さいました。
話を続けながら、いろんな大会で取ったメダルを子供達にも触って欲しいと回して下さいました。
生徒に後で感想を聞くと、思ったより小さいが重かった。大会によっていろんな形のメダルがあり、おもしろかった。裏側に点字があった、などの声が聞けました。
2008年北京では16位。
2012年ロンドンでは、7位入賞。
入賞すると天皇陛下のお茶会に招かれるそうで、嬉しかったと話されていました。
活動は続き、東京オリンピックではトライアスロンの内定選考会で惜しくも枠に入れず悔しくて、と話されていました。
年齢を重ねても挑戦をあきらめず、今は2024年パリパラリンピックにも挑戦していて、ブラインドラグビーにも挑戦していると話されていました。
「継続は力なり」「夢をあきらめないで」と講演会は、終始なごやかに終了致しました。
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講演会終了後、生徒会生徒に感想を聞く事ができました。
「たくさんの夢があって、いろんな経験をされて、それが今まだ挑戦する力になっているので、私もたくさんいろんな事を経験していきたい。」といった感想だったり、「今の年齢になっても夢を持ち続ける気持ちと挑戦し続けるのは、すごいなと感じた。」など、生徒達にも夢をもつ凄さ、継続は力なりという高橋さんのお気持ちがよく伝わったのでないかと感じました。
貴重な経験をお話して下さった高橋勇市さん、ありがとうございました。